自分の思想の変遷

自分の思想体系について、まとめられればと思っている。

 

小学生時代の自分は、哲学少年であり、死とは何か、意識の連続性、物質の連続性、魂はあるのかということを自問してきた。
結論は、一つは世界はバランスであること、二つは感情そのものに普遍的価値があるという結論に落ち着いた。
 
中学時代は才能というものを自問し、結局、偏差値なるものは途方もなく存在し、才能ある者が大いに存在し、なかでも天才と言われる者には気質的性質が関与し、その裏には不幸なる短所が存在し、他者が羨むような代物ではないと結論付けた。
 
高校時代では、感情というものを自問し、一つは抑圧と解放によるカタルシスと、二つは感情表現と、感謝による幸福とは何かが哲学的主題となった。
また、自我の因果性を超越したところに受容や、受容されたのち実在そのものへの肯定が生まれることも知った。
 
大学時代では、ユング心理学と象徴学、神話、宗教について学び、発達という概念によって生が肯定されうることを知った。
カウンセリングへの結論として、理想と現実の間の感情的断絶を埋めるのがカタルシスであり、カタルシスには涙もしくは血が必要であり、不幸を受け入れて、主体的な選択を取ることが人間本来の生き方であるとした。
余談として、ユーモアと言うものは、間違ったインテグレーションであると定義付けたりもした。
危険性への関与という問題は、時(カイロス)としての見立てが必要であると結論付けた。
 
大学卒業後は宗教と政治について自問し、キリスト教、仏教、神道、それぞれの特色についての大学時代からの整理を行った。
日本独自なるものについては、日本神話からなる皇家と土地の歴史、家と家業にまつわる社会学的連続性、現在は家業と土地なき空気による圧殺が変遷であると結論付けた。
 
その後は、権力について自問し、権威主義モラルハラスメントの実態、目的を持った演技としての権力への意志を洞察した。
 
現在は、純粋意志について、芸術論、不幸の主客を排した生、意志と表象しての世界についてを考えている。