AIと国教

AIに関しての考え方の差異と宗教的考察。


西洋はキリスト教圏。キリスト教は人間にとって自然は統べるものとされる。従って、神>人間>家畜>自然の序列。

AI(機械)は家畜と同列とされるが、家畜の序列が人間と同等もしくは、それ以上になることを恐れる。

猿(家畜同然のもの)が人類に反逆する、AIが人類に反逆する等。一方で、家畜(奴隷)が人間と同等の権利を持つか、AI(奴隷)が人間と同等の権利を持つかといったことが議論される。


日本では、神道と仏教が普遍的。神道では、神>自然>家>人間の序列。仏教では空>人間>色の序列。

西洋では神のすぐ下が人間のため、恋と愛は人間と結びつけられ、自我の確立としても心理的に重要視される。日本では、家が人間より上位であり、仏教的にも色恋沙汰は下位であるため、恋愛と自我確立は忌避される。

AIは日本では家と共存できる存在、もしくは生活を壊さない対象としてなら受け入れられる。家庭を壊す『欲』となる場合は恐れる。

近年日本も考え方がキリスト教圏に近付いているものの、まだまだ一般層では家>人間>欲(AI)の傾向が強い。


それが西洋と日本においてのシンギュラリティ(技術的特異点)に関しての危機感(恐怖心)の本質的な差異に表れている。