宇宙論と意志と意識について

神秘的な観点での宇宙論と意志、意識について。


意志と意識のモデルとして考えているのは、

意志>魂>人格>身体>意識

の構図。これを基に、カバラ思想と、意志と表象の概念を援用して考えたい。科学的な論考は勿論似非科学となってしまうけれども。


創造主はアインソフオウル(ビッグバン)により、宇宙は一点から拡がった。宇宙は天体を創り、自然法則を生み出す。自然法則のなかには意志が流れている。意志は植物や動物や人間を生み出し、それらの中にも、ビッグバンから一貫して意志の力が流れている。

物自体のなかに流れている意志の直感が、イデアの感性。意志と自然法則は数学的である。そのために数式、数学もイデアを湛えている。

意志が生み出した身体は、動物や植物や人間を、生存と生殖に向かわせる。意志は生存と生殖のための本能となり、善なることだけでなく、破壊的な悪をも含む。動物や植物にも、表象のなかの因果に気づく悟性があるが、人間に特にその力が強い。そのために人間は、完全に意志に呑み込まれず(理性としての意識)、表象を概念として観察する。


意志は物理的な存在を通してだけでなく、風や引力、光や磁力にも含まれる。そのため人間は、自然や人間の集まるところ、天体の引力などによって影響を受ける。強い磁界や電波でも、何らかの影響を受ける。

意志は数学的性質を持っているが、偏差によって自然環境にダイナミックな影響を与える。この偏差には量子が関わり、意志による干渉を受ける余地となっているかもしれない。

自然環境のなかでは、様々な方向からの意志を受けて、干渉される。結果として、特徴的なエントロピーの偏りが生じる。ある程度、クラスタごとにまとめられた者は、同一の方向からの意志による影響を受けやすくなる。そして、落ち着く場所や関係性、大きくは運命の流れや、小さくは体調やツキの波が生じる。異なる方向から意志と意志が働く影響で、同一の方向からの影響を受けやすい人と受けにくい人が出てくる。これが個人差となる。

意志は無根拠であるが調整する働きを持ち、調整によって布置された世界の直感的な悟性を、共時性の感覚として見る。逆に人間の意志によって、世界に調整の影響を与えることもあるが(おみくじの選択結果などは分かりやすい)、基本は大きな物理世界を介した意志による力の方が強い。

神といえる存在からの意志による影響で、縁や子宝などは特に調整されやすい。意識への直接の干渉よりも、小さな偏差が物理的に大きな差となって表れるところに干渉されることが多い(補償作用としての夢なども含む)。夢や占いやおみくじ(共時性)は、こうした意志の力の方向を浮かび上がらせることへの努力である。


意識の成立は当然、身体の脳活動の状態に依存する(幽体離脱体験の脳活動もある)。しかし、自我としての感覚(クオリア)があるのは、脳の量子に魂といえるものが干渉し、また、魂も脳活動からダイレクトに干渉を受けるためかもしれない。この双方向性が自意識の中心的感覚となる。

意識の存在理由は、あくまで様々な方向からの意志を表象として知覚、保持し、動物的にならないためにある。理性としての存在意味となる。



といった風に考えれば、神秘的な世界と意識の話はまとめられるだろうか。根拠となる裏付けはないが、自分なりに神秘的な宇宙論をまとめてみた。

魂の成り立ちの話はないが、イデアそのもの、ということになるだろうか。そうなると、プラトンの言うイデア界に帰れるのは、ビッグバンが収束するときになってしまう。それとも光の速さを超えられるのか。死後の世界は分からない。


自分としては神秘的なものに懐疑的な立場だ。だが結局、占いや共時性に一定の現象的な意義を認めた方が良さそうな事態を観測してきた。

私個人の話をすれば、同時に複数の直感(感覚?)を感じたり、小さな頃から離人傾向(主に現実感喪失)が強かったので、マトリックス的世界観や、仏教的無常観は既に「現実として」慣れ親しんだものだった。

臨床心理学を必死に学んで、私が感覚として掴んでいたものが、占いによって簡潔に示されていたことを知ったときは、愕然としたものだ。


よって、神秘的な世界に一定の価値を付与し、認めるものとする。