日記的ふりかえり

ODによる影響を知りたくて、知能検査(WAIS-III)を受けてきた。その結果が先日出た。

国語読解にあたる意味理解と時間構成化は、IQ120程度まで回復したようだった。なお、暗算計算や事務能力関連のIQとの差が30程あるので、発達障害傾向の人に見られる生きづらさはある。身体もろもろボロボロだったりもする。

しかし、以前より男性性と女性性の統合が生じて来て、前よりも「わかるわかる」が増えた気がする。

まだ夢(分析)を続けられる。生きていける、と思った。


ついでとして、自傷行為リストカットやOD)について知り得ていることを書いておこうと思う。苦手な人は読んではいけない。


リストカットリストカットの安堵感をもたらす神経学的基盤は、β-エンドルフィンによる。これはマラソン選手のランナーズハイと同じ脳内麻薬であり、強力な鎮痛作用をもたらす。

基本的に、リストカットは女性に多く見られる。否定的な身体イメージと自己イメージを一致させる自己受容感を廻る行為と解釈することができる。

また、血を流すことによるカタルシス(浄化作用)は、涙と血液が殆ど同じ成分であることに由来する。献血などの瀉血行為でスッキリする人がいることは、同様の機序に基づいていることが推察される。

ちなみに、自分の意思で自分を傷付けることは、脳科学では痛み感受性が抑制されることが分かっている。つまり、殴った方が痛いというのは嘘である。一方、痛みによって離人感を回復させようという人もいる。

ちなみに、自分はこれ以上は腱が切れて楽器を演奏できなくなるところでリストカットを諦めた。

嗜癖(addiction)としての自傷は、大事な何かに注意を逸らし続けることによってやめることができる。

臨床的には高率に他の精神障害(拒食症、境界例など)を合併していることがあるので、行為そのものよりも全人格的な見立てが必要となる。

少なくとも、リストカットが道徳的な権威争いの道具として使用されることがないように、注意を払うべきである。無視するのが一番という話もあるが、上下関係のない対等な人間として話せるのならそれに越したことはない。


OD(over dose)について。過剰服薬のこと。リストカットが生きづらさの表現であるのに対し、ODは自殺企図のリスク(危険性)を疑うべき。

こちらは200錠飲んだときの自身の経験をふりかえってみる。

救急車で搬送、既にこのあたりで記憶は曖昧になる(記憶と証言に食い違いがある)。

救急隊員「これ(リストカット)いつやったの?」「高校生の時です」「縫ったの?」「縫いませんでした」と朦朧とする中ハキハキ答えていたのは思い出せる。

ICUでの胃洗浄は地獄らしいが、自分はその時には記憶がなかったから関係ない。と思ったけれどもストレッチャーに後日乗せられた時にシバリング(震え反応)があった(その時は恐怖に鈍感だったので身体が怖がっていることの理解に時間がかかった)。

なお中等症の意識障害(昏睡の一歩手前)だったが、2日後には意識を取り戻し、5日後には街を出て旧い友人のもとを訪ねたりした模様。他には警察から電話がかかって来て、事件性がないか聞かれたりした。

10錠×20シート服薬するのは並大抵のことではないらしく、初犯でなければ精神病棟への強制入院のケースだったらしい。

まとめると、ODは危険。後遺症が残る場合もある。記憶がないからといって油断はできない。下手すると強制入院のケースもある。ということ。


様々に手を尽くし抜いた末での判断だった為、後悔はしていない。なぜそんなことをしたのかと言えば、理由は5つも6つも考えられる。その時の状況では「必要」だった。

友人には様々に心配と迷惑をかけて申し訳なく思う。世界は悪意だけで廻っている訳ではないと最近思うようになってきた。


もうちょっと、生きていこうか。

(この記事は暫くしたら削除するかもしれない)

追記:スター付けてくださった方、ありがとうございます。