子どもからの観察について

子どもとの臨床経験から考えていることを書く。子どもは大人に通じるところがあるので、対大人に関しても何らかの参考になることがあるかもしれないと思う。

 

1.教育について。矯正と関係性。

教え、育てることには二つのアプローチがある。

一つは『矯正』の考え方で、教育する側に負荷を少なく、本人に高い負荷をかけて、本人の自尊心を削ってでも知識や技能を最短で身に付けさせることを目的とするアプローチ。もう一つは『関係性』の考え方で、教育者に高い負荷はかかるが、配慮をもって本人の負荷を低く調整しながら、自己肯定感を高めつつ人間関係力を身に付けていくことを目的とするアプローチがある。

矯正という考えならば、本質的には今までの在り方を否定するという点で、本人にとってはある種の自己否定を強いることとなる。教える側にとって自尊心は低い方が都合が良いので、自尊心を低くする言葉やプレッシャーを掛けたり、できないことをあえてやらせることが『教育的指導』とされているように(自分には)見える。併せて、ヒエラレルキー(上下関係)を本人に自覚させる言動が教育者に無自覚のうちに増える傾向がある。

関係性という考え方は、本質的には人間存在そのものへの信頼があり、適切な受容的な環境を設定できれば、本人が必要な技能を創造的に身に付けていくことができるとされる。すべては経験であり、良好な人間関係を設定し成功体験を積み重ねることで、自己肯定感を高めながら社会的技能を身に付けることができる。本人が自己効力感を持ちながら新しいことに挑戦することができる。

自分の経験から言えば、技能の獲得の最短距離は、最も難しい課題への取り組みを半年や一年間、自己破壊気味に継続すること(矯正のアプローチ)。あるときに脳が繋がったかのように技能が開発されることはある(通常のやり方と異なる方略になることが多い)。ただ、(自分のように)自尊心は歪み、抑うつや二次障害を併発するリスクに曝すことを考えると、高い負荷の矯正のアプローチでは、より観察力と配慮が必要となるように思える。しかしそういった人ほど教育者側に観察力や共感性がなくなり、監視と監督が主な関心事となっていく点は見過ごせない。

結果的に、観察力が付き共感的にアプローチするようになってくると、本人に調子があり、体調やライフイベントによって、高まっている関心事も本人のキャパシティも異なることにこちらの関心事が移行する。もし成功体験を積ませたいのならば、調子が良いのか悪いのかを観察して、全体的な負荷を考え、バランスを見ながら達成可能な課題を設定しなければならない(関係性のアプローチ)。

本人にとって難しい課題も、課題を要素に分解して、(一見すると関係がないように見えるが)関連する基(もとい)となるところを鍛えることで、難しい課題がいつの間にか難しくなくなっていることがある。時間はかかるが、経験によって脳が開発され、熟練することを考えれば、苦手意識から敬遠して取り組めなくなるよりもずっと良いアプローチに思える。

 

2.パターンと環境設定

技能の習得で負荷をかける場合、熟練した人が注目点を教えてあげることと、見通しとパターンを学習させていくのが効率が良い。身に付けたパターンを派生させることで、新たな可能性や応用力を身に付けていく。

パターンが固定観念になりそうな時は、本人にとってそもそも違うように思えることを類似のパターンで辿らせることや、複数のパターンを包括した概念や条件を提示することで、視野を広げていくように働きかける。

失敗する負荷をかけたくない場合、観察から予期される負荷の軽減を先手を打ってしてしまい、環境設定から本人に成功する行動と経験をさせてしまうのが手っ取り早い。

本人が持っている能力以上のものを引き出すコツは、余計な刺激を目や耳に入れないで(隠しながら)注目点を誘導することと、言語・非言語的なメタファーを共感的に活用して選択してほしい行動を誘導する。とはいえ上手くいっていても、まるで適応的な選択肢を自ら選び続けることに近い負荷はかかるので、本人が辛くならない程度に自由を配慮した方が良い。場合によっては、自由にして守られた空間を本人に提供し、多様な(パターンでの)表現の機会を保証することで、本人に適応的な選択肢を見つけ出させるアプローチも必要なときがある。

余談だが、他に裏技的なもので言えば、驚かせたり難しい言葉を入れた後の(直接的な命令でない)間接的な指示は通りやすい(感情や思考のパターンをリセットする意味がある為)。

また、嫌悪感を本人の不適切行動に付随させたり、生理的な心地よさ(ホメオスタシス)を左右させることも行動の影響にはかなり効果を発揮する(条件付け)。恐怖心と(明確な)やるべき行動をタイムリミットと合わせて対提示することも行動のトリガーとして強力に作用するが、人道的に考えればできる限りポジティブな方法を採用すべきように思う。

 

3.共感と共同注意

共感の基となるのは、他者と共同で同じものに注意を向けるということ(共同注意)。本人の視線の先にあるもの(注意を向けているもの)にコメントすることが相手にとって最も負荷が少ない。心を閉ざしている人も、良いものに共同で注目することを繰り返すと、他者への期待感が持てるようになる。互いの共同注視から、共感の経験を入り口にして社会性の幅を広げていく。

感覚的な話となるが、体感的に共感する基本は、協調(調子合わせ)と本人のモチベーションを利用した言葉選び(含む非言語)となる。アドバイスや否定的なことを言いたくなった時は、相手と同じ動作をしてみると良い。相手が受け入れられることは、相手の気分と調子で限られている。慣れてくると一秒で調子を合わせて、本人が応じたくなる指示を出すことができるようになる。

 

4.盛り上げるか真ん中を外さないか

接し方の柱としては、主に二つある。一つは、盛り上げる手法と、もう一つは人間性を通して真ん中(本質的なこと)を外さずに接する手法がある。

盛り上げる方法は、相手に負荷がないところから共感的に入り、下から楽しい気持ちで持ち上げる感覚で接する。 自分の感覚では、一旦相手にやらせることをすべて放棄し、十分に観察した上で協調(ペーシング)ができていると、どこを持ち上げるべきかが文字通り重力のように体感される。期待が適切であれば、こちらから相手に合わせることにより相手もこちらに合わせてくれるもので、創造的な関わりから新しい道は作っていくことができる。また、一旦相手を肯定したり褒めたり、楽しそうに誘うことで気持ちを切り替え、成功体験に繋げていけることはよくある。余談だが、恐怖や不安反応の消去を促進するには、ドーパミン系の期待感やワクワク感を不安にぶつけるのが有用とのこと。

ちなみに、褒められたいポイントやタイミングは人によって違う。基本は『できた』に共感する形で褒めることと、本人が工夫した点を具体的に褒めること。体験の後、フィードバックとして明確に言葉にすることで蓄積されて残ることもある。

真ん中を外さずに接する方法は、本人が無意識に相手の反応を(主にネガティブに)誘導操作してしまったり、混乱していたりする難しいケースの場合に使う。感覚としては、感情を感じないのではなく感じているけれども自分の精神力で動かされないようにして、真ん中の本質的なところを外さずに反応を返す。この感覚が成功していると、本人が自傷行為やパニックに陥りそうな人ほど、冷静さを取り戻して応じてくれる。ただ、こちらは尋常でなく精神力を使い疲れる。相手よりもしんどさを感じていることが、この感覚が成功しているかのメルクマークになる。ちなみに、無感情でないように気を付ける理由は、相手が良い方向にずれたときにこちらがしっかりと感情を動かせる点にある。

余談だが、ポジティブな感情やネガティブな感情を原動力にして効果をあげることは、長期的には成果が安定しないことが指摘されているので、徐々に感情や意志のみに頼らずに自然にできる状態まで持っていく必要がある。

 

5.直感力と観察力

最後に、直感力と観察力について。直感的には、遠目から何も考えずに相手全体を見て思い浮かぶこと。その日、本人を初めて見た7秒間に思い浮かぶことはだいたい正しいことが多い。

直感と観察力を結び付けるには、前後の出来事における本人の反応のパターンを映像として記憶に留めておくこと。映像思考によるシミュレーションの材料を豊富に貯えることで、直感的な予測の精度は高まっていく。

観察力を鍛えたいならば、筋緊張と弛緩行動を読み解くこと。緊張感(肩と首の強ばりや反応速度と強度)の変化や、弛緩(緊張後の自己刺激や開放的な行動)の構造を掴んでいくと、なにが原因となっているかを見抜く観察眼がついていく。

細部の出来事は最初は点と線のようであるが、次第に大きな円となるように並べ、繋いで描いていけば、本人の生活環境まで含めて、“起きた出来事の意味(meaning)”を知ることができる。円のようなイメージができれば、一を見て十を知ることができる。

余談だが、これらの要件を習熟しておけば、ある種カリスマ性に似た予見能力や共感力が身につく場合がある。代償は、最悪の事態を予期するが為に、日和見していられなくなること。ちなみに、カリスマ性とは①親しみやすさと②包括的な影響力(リーダーシップ)によって生まれる。正しいから好きなのではなく、包括的に不安や負担を軽くしてくれる影響力を持っているから人はカリスマ性のある人を好きになる。勿論、人間はポジショントークの生き物だから、傘下に入っているかどうか(内か外か)でカリスマへの魅力は変わってしまうものらしい。

 

子どもに懐かれる理由は、相手の辛いところと不満を分かり、本人の発信を含めて環境を変えていく役割をとることが多いからかもしれない。好かれるのは一見良いことに思えるけれども、その実、他の人が分かってあげられていない現実を反映しているに過ぎない。好かれるのは必ずしも良いことではないと思う。

本人が良好な人間関係のなかで、豊かな経験へと開かれることを願っている。それは今も昔も思い続けていること。

自分も、新しい経験と役割を引き受けて、頑張っていきたいと思う。

(2019.1.6.加筆修正しました)