思考するとき言葉を使うか
人が思考するときには、いくつかのタイプがある。
性欲と性差について
社会学、心理学、象徴学における性は置いておいて、
生物的な性欲と性差について知り得ていることを書く。
男性は性感が弱く、性欲が強い。
女性は性感が強く、性欲が弱い。
女性の性感の脳波レベルは、男性に同じ事が起きた場合は、ショック死もしくは気絶するという説がある。
つまり、女性は男性よりも、痛覚と同様、性感にも強く耐えられるようにできている。
男性の性感はオルガズムまでの精神的高揚の短時間にしか見られず、女性は疲労を伴う程に刺激と快楽が直結している。
余談だが、女性が一番気持ち良い動作をしているときは、男性はあまり気持ち良くないこと、男性が一番気持ち良い動作(刺激)は女性は一番気持ち良い訳ではないことは、知っておいても良いかもしれない。
当然、男性と女性でセックスへのモチベーションは違う。勿論、精神的な繋がりを求めることは一般に共通して言えることだが、
基本的に、女性は強い快感を求める性欲であるのに対し、男性の性欲は性衝動そのものを強く求めることにある(男性に性犯罪が、女性にセックス依存が生じやすい負因)。
男性の性衝動の強さは女性の性欲(性衝動)の強さの比ではない程、強いとする研究もある。
まとめれば、男性は女性の性感レベルの強さの快感を経験することはなく、女性は男性の性欲レベルの性衝動の強さを経験することはない。
自分の目から見ると、女性の性感は少なくとも腰の臍あたりまでは来ているように見える。オルガズムに達すると全身から脳天にかけてまで性感が広がっている。
普通、男性の性感はせいぜいオルガズムの一瞬で、余程の手順(心理的に女性化する、催眠をかける、肉体的に精神的に相当焦らす等)を踏まないと、女性の性感のレベルに近付くことすらない。
従って、男性には性衝動を高める刺激を与えたり、性衝動に向くように精神に揺さぶりを与えることが、男性に対して女性ができる最も効果的なこととなる。
対照的に、女性には安心して感じられる気配りを与えることや、快楽が高まる雰囲気作りをすることが、女性に対して男性ができる最も効果的なこととなる。
余談だが、男性が性に対しての罪悪感を抱くのは性欲(性衝動)に対してのことが多く、女性が性に対しての罪悪感を抱くのは快楽(快感的堕落)に対してのことが多い。
同じ性交(セックス)に感して、男女でここまで、精神的、身体的に異なってくる。
視点は様々である。
もう自分はそういうことはいいやと思う。
占いについて
誰でも生年月日だけで占える方法について。
この方法は、星座と数字を象徴のように捉えて行う。
12星座的見方。
牡羊座:経営者、リーダー、義侠心、強い野心と指導力、権限ある地位と経営力。(火)
牡牛座:現実主義、しっかりとした判断、忍耐と芸術、物質主義、衝突は避ける、官能的。(地)
双子座:通訳者、分け隔てない、2つ以上のことを同時にこなす、知的潜在力、社交術、愛し愛される。(風)
蟹座:理解者、繊細さと緊張、感情の起伏、第六感的理解、鋭い直観力と洞察力、自信と傷つきやすさ、思いやり。(水)
獅子座:王者の威圧、創造的な芝居、人を楽しませる、勇敢、強引さ、プライドが高い、生き生きしている、思いやり。(火)
乙女座:完璧主義、実利的な理想、重箱の隅をつつく、鋭敏な知性と知識欲、洞察と批評家。(地)
天秤座:外交官、洗練された交渉力、カリスマ、大きなスケール、贅沢と美、金銭的成功。(風)
蠍座:秘密主義、ものの真髄を突き止めたい、大胆で意志を貫き通す、切り捨てる、挫折や失望感、色欲。(水)
射手座:探究心と哲学、楽観的な活力、道徳心、冒険心、印象からの直観力、チャンスを見つける、誠実さ。(火)
山羊座:義務感、権威を重く見る、打算的な野心、勤勉、自分を一番信頼、現実的実利的。(地)
水瓶座:個人主義、博愛主義、検閲者、ひらめき、奇抜に見える、勘の良さと実務的才能、そっぽを向く、人間関係を鋭く理解する。(風)
魚座:研ぎ澄まされた感受性、二面性、心の機微を理解できる、不思議な魅力、毒舌、限界のない感受性、感応力。(水)
だいたいこれで外から見える大枠の印象と性格を相手に伝える。
捕捉として、星座の始まりの最初の10日間の生まれの人はその星座の典型になりやすい(例:牡羊座×牡羊座)。次にくる10日間は次に近い同属性の星座も付け足す(例:牡羊座×獅子座)。星座の最後の10日間生まれの人は一番遠い同属性の星座も付け足す(例:牡羊座×射手座)。
これで同じ星座でも三種類のタイプに分けて伝えることができる。
あとは、数で見る。
まず、誕生日。
1.リーダーと自己意識強い。
2.社交性と依存心がある。
3.創造性と論理的理解、理屈っぽい。
4.堅実さと計算高さがある。
5.自由と旅を愛する、趣味が偏る。
6.家庭と美を愛する、ロマンチスト。
7.勝利を求める感情がある。
8.管理的、社会的成功を求める。
9.複雑さとすべての人の気持ちがわかる。
10.信念でトップを目指す。
一桁台は生の(典型的な)数字の性格になりやすい。
十台の誕生日の人は前進的なエネルギーが強い。二十台の誕生日の人は社会的なエネルギーが強い(性格に関わらず人の輪の中にいる)。三十台の誕生日(30日,31日)は創造的なエネルギーが強い(社会的な動向を直感的に掴んでいる)。
他に特徴的に目立つ誕生日。
11.ひらめき、インスピレーション。
13.野心。
19.革新。
22.ドラマチック、思い通りになる。
28.企業戦士。
29.寛大でインスピレーション。
これでメインとなる能力的な才能を相手に伝えていく。
サブとなる才能は、誕生日に誕生月の数字を足して、表立ってないが存在する影の才能を見る(例:1月10日の場合、11のインスピレーションの才もある)。
最後に、生年月日を西暦で単純に足し算して、最後に出た数を一桁になるまで足し算する(生年月日で分けて暗算した方が簡単)。
出た数字でその人の本質を見る。
1.王冠の象徴(個の自覚と独立)。
2.智恵の象徴(交流と社交)。
3.理解の象徴(創造と可能性)。
4.慈悲の象徴(統合と安定)。
5.峻厳の象徴(破壊と正義)。
6.美の象徴(自己犠牲と愛)。
7.勝利の象徴(感情と分析)。
8.壮麗の象徴(ノウハウと管理者)。
9.基礎の象徴(記憶の検閲)。
最終数が構成されている数字から、その人の意志の現れ方を見る(例:27=9の場合は社交術と分析能力により全ての人の気持ちが分かる等)。
これにより大体、生年月日を知れば、大枠の性格と、才能と気質を伝えることができる。
あとは、短所を見たいなら、生年月日で色んな順番から足してみて、構成に入っていない数字を探してみると、意志の力を受けてない(才能がない)ところを言うこともできる。
未来と過去を見たいなら、誕生日から次の星座になるまで何日あるかを1日1年と換算すると、年齢別に志向する方向がわかる(例:1月10日の場合、0歳〜12歳:山羊座、12歳〜40歳:水瓶座、40歳以降:魚座の影響を受ける等)。
誕生日を聞いたら、
1.星座で大枠の性格を話す(外からの印象と合わせて相手が頷けるように言葉を選ぶ)
2.誕生日で才能と能力を話す(日常と照らし合わせる)
3.生まれ年を聞いて暗算し本質を伝える。
4.最後に過去と未来の変化を伝える。相手の口が開いて関心を示していれば話し続け、口を閉じたら話をやめて質問をする。
以上のことを覚えていれば、暗算程度で占いはできる。
画数占いに応用するなら、名字の総画は家柄を、名前の総画は一人になった時の自分を、名字と名前の間の字の総画は主に仕事における対人関係のあり方を、名字の最初の字と名前の最後の字の総画は生活に求めるものを象徴していると言って、解釈を伝えることができる。
相手の興味や関心を持っていることと関連させて伝えれば、大体外れていると言われることはない。
人生に対して、本人なりの意味や印象を豊かにするように伝えて、悪いことはあまり伝えない方が良い。人生はその人のもので、占いは人生にならないと、自分は思う。
真作と贋作を見抜く方法
芸術について。
神道について
神道について知り得ていることを書く。
とある信仰宗教について
箸休めにとある信仰宗教の話。
前提として輪廻転生を繰り返し、より高次な存在となるために計画を立てて、修行のために人はこの世に生まれるとする。従って、この世の幸不幸は予め予期されたことであり、不幸を乗り越えることにより人は学び、高次な存在となれるのだと言う。
更に、精神的な波長は引き寄せの法則を通して引き合い、まとまったコミュニティを形成する。従って、善き思いは善い縁を引き寄せ、悪しき思いは悪い縁を引き寄せるとする。
これは因果律として、悪しき思いは悪しき報いを、善き思いは善き報いを得るとみなされる。
思いは言葉に、言葉は行動に表れ、然る後に裁きを受ける。従って、悪しき思いを悔い改め、善き思いに転換することが、不幸からの解脱の道だと説く。
そして心の在り方が、天国、地獄へと繋がってゆくとされる。
ここからが非常に特徴的だが、人はそうした破滅への道に曝されながら生きているのであり、縋るものとその基準が必要とされる。
それが主の言葉であり、これに従いながら働き、布教することで、善き世界を作っていくものとしている。
これが信仰である。
以上が基本的な骨子となる。
問題点としては、人間の最大の不幸は、転生輪廻をもって救済されるという点であり、不幸を自覚すればする程、あの世の存在というものが必要となり、また原動力とされうる。
次に、善き思いには善き報いが、悪しき思いには悪しき報いがあるとすると、善き思いの基準となるものが必要になってくるが、上位者の言葉が基準となった場合、不安を煽りそれを救うというような言い方となれば、純然たるマインドコントロールとして機能することである。
次に、然るべき裁きが個人に内在化されると、それは他者に対しても向けられるようになる。結果として、都合の良いコミュニティと、都合の良い自己正当化の道具として教義そのものが使われる危険性を孕んでいる。要は排他的になるということである。
最後に、働く事や資産に宗教的な意義を接続すると、理不尽な苦行や、反対に金銭的な裕福さも、全て教義に変換され、吸い上げられる仕組みとなってゆく。
つまり、資産、労働力ともに限界値が死と設定されうる。
余談だが、善き原因には善き結果があること、悪しき原因には悪しき結果があること、その間にある自他の苦痛を無視するようになると、これはサイコパス特有の識別学習法に近似しており、信徒の異常性を際立たせる結果に繋がりかねない。
以上がとある信仰宗教の問題点であり、宗教組織の問題点として示唆を得るところは大きい。
カバラ思想について
カバラ思想について知り得ていることを書く。