思考するとき言葉を使うか

人が思考するときには、いくつかのタイプがある。


一つは、音声思考タイプ。内語によって、独り言のように音声が頭の中で流れる人。話が長くなりがちで、要点をまとめていかないと話が途中で遮られやすいところがある。
体系的な分析と、論理的であるのが長所。
ただ、話に内容がある一方で、会話での応答がまとまりをもって伝わるには、ある程度話さないと意味をなさないところが短所。
このタイプの人は応答スピードと判断力如何で、頭が良いとも悪いともとられる。
 
二つは、イメージ思考。具体的な映像や、抽象的なイメージまでが先にあり、それを基に喋る人。話が短くまとまりやすく、コミュニケーションの応答が早いのが特徴。
短所は、論理的な矛盾に気が付きにくく、代わりに秩序(イメージに矛盾がないこと)で補うことが多い。本人の中では矛盾が無いが、文章的に分かってもらうには苦労を要するところがある。
イメージ思考の人でも、論理的に話すことを心掛けていれば、それっぽく聞こえるし、何より創造的で、スピーディに把握をしているのが長所。
このタイプの人は表現力如何で頭が良いとも悪いともとられる 。
 
複合タイプの人も勿論いる。スポーツ戦略や手続き記憶の時だけイメージを使い、普段は音声で考える人から、活字を読んでいる時でさえ音声は全く浮かばないという典型的なイメージ思考のタイプもいる。
 
第三の思考としては、映像も音声も使わない思考法がある。これは要するに直感的思考。普段はしない。
ちなみに、IQが高い人は概念形成能力が高いので、全てにおいて論理的整合性がとれている。
芸術的IQが高い人はイメージ的な抽象度が高く、それでいて統合性がとれている。
 
音声思考のタイプの人は概して感傷的で、絶望を感じやすく、理想と現実のギャップに苦しみやすい。
イメージ思考のタイプの人は概して楽観的だが、超個人的で、感傷的というよりは、しがみついたり抱え込む感じに近い。
 
『楽しい』
その言葉を二人の違うタイプの人が発したとき、二者の間では「楽しいに理由があって楽しいのか」「楽しいイメージが浮かんでるから楽しいのか」違うことを考えているかもしれない。
たとえ会話が通じていても、意味は全然違ったりしている。
 
 
追記:直感的思考は、最近ではパターン思考と言われている。無数にある経験をパターンにまで落とし込み、無意識にサジェストされるようになると練度が上がるとのこと。プロのチェスプレイヤーなどが使っている思考法。自身の感覚では、サジェストされるだけでは足りず、一つの方向に纏め上げる瞬間的な創造性が必要なように思われる。

性欲と性差について

社会学、心理学、象徴学における性は置いておいて、

生物的な性欲と性差について知り得ていることを書く。

男性は性感が弱く、性欲が強い。

女性は性感が強く、性欲が弱い。


女性の性感の脳波レベルは、男性に同じ事が起きた場合は、ショック死もしくは気絶するという説がある。

つまり、女性は男性よりも、痛覚と同様、性感にも強く耐えられるようにできている。

男性の性感はオルガズムまでの精神的高揚の短時間にしか見られず、女性は疲労を伴う程に刺激と快楽が直結している。


余談だが、女性が一番気持ち良い動作をしているときは、男性はあまり気持ち良くないこと、男性が一番気持ち良い動作(刺激)は女性は一番気持ち良い訳ではないことは、知っておいても良いかもしれない。


当然、男性と女性でセックスへのモチベーションは違う。勿論、精神的な繋がりを求めることは一般に共通して言えることだが、

基本的に、女性は強い快感を求める性欲であるのに対し、男性の性欲は性衝動そのものを強く求めることにある(男性に性犯罪が、女性にセックス依存が生じやすい負因)。

男性の性衝動の強さは女性の性欲(性衝動)の強さの比ではない程、強いとする研究もある。

まとめれば、男性は女性の性感レベルの強さの快感を経験することはなく、女性は男性の性欲レベルの性衝動の強さを経験することはない。


自分の目から見ると、女性の性感は少なくとも腰の臍あたりまでは来ているように見える。オルガズムに達すると全身から脳天にかけてまで性感が広がっている。

普通、男性の性感はせいぜいオルガズムの一瞬で、余程の手順(心理的に女性化する、催眠をかける、肉体的に精神的に相当焦らす等)を踏まないと、女性の性感のレベルに近付くことすらない。


従って、男性には性衝動を高める刺激を与えたり、性衝動に向くように精神に揺さぶりを与えることが、男性に対して女性ができる最も効果的なこととなる。

対照的に、女性には安心して感じられる気配りを与えることや、快楽が高まる雰囲気作りをすることが、女性に対して男性ができる最も効果的なこととなる。


余談だが、男性が性に対しての罪悪感を抱くのは性欲(性衝動)に対してのことが多く、女性が性に対しての罪悪感を抱くのは快楽(快感的堕落)に対してのことが多い。


同じ性交(セックス)に感して、男女でここまで、精神的、身体的に異なってくる。

視点は様々である。


もう自分はそういうことはいいやと思う。

占いについて

誰でも生年月日だけで占える方法について。

この方法は、星座と数字を象徴のように捉えて行う。

 

12星座的見方。

牡羊座:経営者、リーダー、義侠心、強い野心と指導力、権限ある地位と経営力。(火)

牡牛座:現実主義、しっかりとした判断、忍耐と芸術、物質主義、衝突は避ける、官能的。(地)

双子座:通訳者、分け隔てない、2つ以上のことを同時にこなす、知的潜在力、社交術、愛し愛される。(風)

蟹座:理解者、繊細さと緊張、感情の起伏、第六感的理解、鋭い直観力と洞察力、自信と傷つきやすさ、思いやり。(水)

獅子座:王者の威圧、創造的な芝居、人を楽しませる、勇敢、強引さ、プライドが高い、生き生きしている、思いやり。(火)

乙女座:完璧主義、実利的な理想、重箱の隅をつつく、鋭敏な知性と知識欲、洞察と批評家。(地)

天秤座:外交官、洗練された交渉力、カリスマ、大きなスケール、贅沢と美、金銭的成功。(風)

蠍座:秘密主義、ものの真髄を突き止めたい、大胆で意志を貫き通す、切り捨てる、挫折や失望感、色欲。(水)

射手座:探究心と哲学、楽観的な活力、道徳心、冒険心、印象からの直観力、チャンスを見つける、誠実さ。(火)

山羊座:義務感、権威を重く見る、打算的な野心、勤勉、自分を一番信頼、現実的実利的。(地)

水瓶座:個人主義、博愛主義、検閲者、ひらめき、奇抜に見える、勘の良さと実務的才能、そっぽを向く、人間関係を鋭く理解する。(風)

魚座:研ぎ澄まされた感受性、二面性、心の機微を理解できる、不思議な魅力、毒舌、限界のない感受性、感応力。(水)

 

だいたいこれで外から見える大枠の印象と性格を相手に伝える。

捕捉として、星座の始まりの最初の10日間の生まれの人はその星座の典型になりやすい(例:牡羊座×牡羊座)。次にくる10日間は次に近い同属性の星座も付け足す(例:牡羊座×獅子座)。星座の最後の10日間生まれの人は一番遠い同属性の星座も付け足す(例:牡羊座×射手座)。

これで同じ星座でも三種類のタイプに分けて伝えることができる。

 

 

あとは、数で見る。

まず、誕生日。

1.リーダーと自己意識強い。

2.社交性と依存心がある。

3.創造性と論理的理解、理屈っぽい。

4.堅実さと計算高さがある。

5.自由と旅を愛する、趣味が偏る。

6.家庭と美を愛する、ロマンチスト。

7.勝利を求める感情がある。

8.管理的、社会的成功を求める。

9.複雑さとすべての人の気持ちがわかる。

10.信念でトップを目指す。

 

一桁台は生の(典型的な)数字の性格になりやすい。

十台の誕生日の人は前進的なエネルギーが強い。二十台の誕生日の人は社会的なエネルギーが強い(性格に関わらず人の輪の中にいる)。三十台の誕生日(30日,31日)は創造的なエネルギーが強い(社会的な動向を直感的に掴んでいる)。

 

他に特徴的に目立つ誕生日。

11.ひらめき、インスピレーション。

13.野心。

19.革新。

22.ドラマチック、思い通りになる。

28.企業戦士。

29.寛大でインスピレーション。

 

これでメインとなる能力的な才能を相手に伝えていく。

サブとなる才能は、誕生日に誕生月の数字を足して、表立ってないが存在する影の才能を見る(例:1月10日の場合、11のインスピレーションの才もある)。

 

最後に、生年月日を西暦で単純に足し算して、最後に出た数を一桁になるまで足し算する(生年月日で分けて暗算した方が簡単)。

出た数字でその人の本質を見る。

1.王冠の象徴(個の自覚と独立)。

2.智恵の象徴(交流と社交)。

3.理解の象徴(創造と可能性)。

4.慈悲の象徴(統合と安定)。

5.峻厳の象徴(破壊と正義)。

6.美の象徴(自己犠牲と愛)。

7.勝利の象徴(感情と分析)。

8.壮麗の象徴(ノウハウと管理者)。

9.基礎の象徴(記憶の検閲)。

最終数が構成されている数字から、その人の意志の現れ方を見る(例:27=9の場合は社交術と分析能力により全ての人の気持ちが分かる等)。

 

これにより大体、生年月日を知れば、大枠の性格と、才能と気質を伝えることができる。

 

 

あとは、短所を見たいなら、生年月日で色んな順番から足してみて、構成に入っていない数字を探してみると、意志の力を受けてない(才能がない)ところを言うこともできる。

 

未来と過去を見たいなら、誕生日から次の星座になるまで何日あるかを1日1年と換算すると、年齢別に志向する方向がわかる(例:1月10日の場合、0歳〜12歳:山羊座、12歳〜40歳:水瓶座、40歳以降:魚座の影響を受ける等)。

 

 

誕生日を聞いたら、

1.星座で大枠の性格を話す(外からの印象と合わせて相手が頷けるように言葉を選ぶ)

2.誕生日で才能と能力を話す(日常と照らし合わせる)

3.生まれ年を聞いて暗算し本質を伝える。

4.最後に過去と未来の変化を伝える。相手の口が開いて関心を示していれば話し続け、口を閉じたら話をやめて質問をする。

 

以上のことを覚えていれば、暗算程度で占いはできる。

 

画数占いに応用するなら、名字の総画は家柄を、名前の総画は一人になった時の自分を、名字と名前の間の字の総画は主に仕事における対人関係のあり方を、名字の最初の字と名前の最後の字の総画は生活に求めるものを象徴していると言って、解釈を伝えることができる。

相手の興味や関心を持っていることと関連させて伝えれば、大体外れていると言われることはない。

 

人生に対して、本人なりの意味や印象を豊かにするように伝えて、悪いことはあまり伝えない方が良い。人生はその人のもので、占いは人生にならないと、自分は思う。

 

真作と贋作を見抜く方法

芸術について。

芸術に関して、ショーペンハウアーの弁を借りれば、天才の芸術家はイデアそのものを伝達する。つまり芸術の鑑賞には因果関係(理由)は必要ない。
ここでは芸術作品の真作と贋作を直感的に見分ける方法を紹介する。
 
絵画芸術の場合。芸術を真に鑑賞する場合、まず因果的なものの見方を棄却する必要がある。
人は視線を発しているが、視線の動きは普通、対象物から対象物へと移動し、クオリアを認識する。それと共に、長い間、視線が一点に留まることがない(離人症の人を除く)。これは因果的で機能的なものの見方に由来しており、芸術を鑑賞するに不向きである。従って、直感的に芸術を把握するために、この方法を棄却する必要がある。
 
絵画の中心付近に視線を集中させ、さらに絵画の中を起点にして、糸を垂らすように視線を下に伸ばせるかという感覚を試すと、名のある芸術家(デザイン系以外)の作品は、どこまでも深くまで潜り込める。対照的に、贋作師の描いた作品などは、せいぜい数cmか、十数cmしか、絵画の中の起点としたところから視線を先に伸ばせない(離人症傾向のない人だと、この感覚は難しいかもしれない)。
この傾向はデッサン程度の作品でさえ如実にある。
 
この方法は、視線を絵画の中心付近に固定して、全体をアプリシェイト(認識)することで、絵画の抽象性と統合性を把握する。天才や優れた芸術作品は抽象度だけでなく、構図としての統合性も高度なので、絵画の全体を把握した際に、大きな差として表れる。
凡人や芸術的なIQ(才能)が低い人が描いた作品は、抽象性と統合性が低いため、視線の注意力が散漫になり、結果、集中し続けることが困難になる。そのため、こうした違いになるのだと考えている。
真作か贋作かに限って言えば、この方法を使えば、8〜9割は見破ることができる。
 
補足知識として、
万人共通のものとして、右側が外的なもの、左側が内的なものとして認識されやすい。従って、新奇性のあるものは右に配置され、古く、安心感のあるものは左に配置される。より身近で、基礎として感じられるものは下半分に配置され、より意識的な志向を有するものは上半分に配置されることが基本。
これは宣伝広告から映画やドラマの構図に至るまで、共通した見せ方となる。
画面向かって左側から右側に力が働くことは、力強く前進的な印象を与え、右側から左側に力が働くことは、穏やかで郷愁的な印象を与える。
応用して、孤立した人間を印象的に描きたい場合は画面の右側に配置すれば良いし、身近に感じさせたい人は左側に配置すれば良い。
ついでに言えば、CMや広告には①女性②食べ物③ペットか子供のどれかを登場させるのが基本である。アピールしたい新商品のビジュアルなどは中心か右側に配置するのが定石。
 
話を戻すと、高度な芸術作品では、曲線などの力の向きが全体として統合性を乱すことなく美しく描かれ、また高い抽象度をもって結晶されている。
従って、上記のような方法で絵画の全体をアプリシェイト(認識)した場合に、なんら不都合なく作品に入り込むことができる。
 
同様に、彫刻作品の場合でも、曲線や重心などの力の向きが、途中で乱れたりばらけることなく、高い抽象度をもって結晶され、全体として高い統合性をもってまとめられている作品は価値が高い。贋作の場合は、曲線や重心などの力の向きが、途中で無駄に分散され消耗され、スマートでない。つまり抽象度が低いために区別することが可能である。
 
最も、その力の向きとやらを高度に結実させる(抽象化させる)には、果てしない芸術的IQ(才能)と創造的エネルギーが必要である。
そんな人がなかなかいないからこそ価値があり、また贋作とは違っているのだ。
 
 

神道について

神道について知り得ていることを書く。

 
神道は、日本神話を基にする日本の伝統的宗教である。
日本の土地は伊邪那岐尊伊邪那美命の国産みによってつくられた。従って、土地そのものが神聖なものである。
日本神話の神々(天照大御神)の子孫が、天皇皇室である。
そして今日まで、皇室は続いている。世界で最も長い歴史を持つ国とされている。日本人特有の精神性は神道による影響を広く受けている。
 
神話を基にしているので、神道には教義そのものはなく、祭儀が重視される。
仕事や結婚、あらゆる縁は、神無月(出雲では神在月)に出雲大社で神々が取り決める。従って、日本では家と先祖と縁というものが非常に大切である。
 
日本の土地は宗教、文化、歴史的に特別な意味をもち、代々家が引き継いでいく。
家と仕事は分かちがたく、家々の歴史により相互の扶助関係が成り立っている。
しかし、家と土地と仕事が分離されてゆくと、暗黙の貸借関係が成り立たない事態が生じてくる。
以前は歴史による伝承が担保であったが、土地、仕事、歴史が約束されなければ、空気がその代役となり、村八分をつくり、安全性を担保するようになる。
現在の日本は、空気によって縛られ、圧殺されている。個人の事情は目に見えない空気に封殺され、救いは非個人へと移行する。
誰にも言えない事情は、結局のところ不幸の連鎖を生み、不幸は孤独を生む。孤独でも生きること、不幸でも生きること、誰にも言えない事情を生きること、これが現代の日本人が抱えている主題かもしれない。
 
追記。
神道は穢れ(ケガレ)を嫌う。
その点で、綺麗にする(清める)ことが好まれたり、より具体的なものとして方位学や風水などが日本では流行りやすい。
一方で、家と家業が結びつくことで、穢れのある職業の分業地域として部落集落が存在した。今日まで続く職業(家業)と住む土地への差別意識は、極めて日本的な文化の土台に根差している。
 
ちなみに、震災に対しての義援金やボランティアなどは、日本的な相互扶助関係(近所付き合い)が拡大されたものと言える。従って、歴史による貸借関係が成立するかどうかが重要な問題となる。
そのため、送られるものが適切であるか、また受け取る相手は義と恩情(借り)を感じているかが気にされることとなる。

とある信仰宗教について

箸休めにとある信仰宗教の話。

 

前提として輪廻転生を繰り返し、より高次な存在となるために計画を立てて、修行のために人はこの世に生まれるとする。従って、この世の幸不幸は予め予期されたことであり、不幸を乗り越えることにより人は学び、高次な存在となれるのだと言う。

更に、精神的な波長は引き寄せの法則を通して引き合い、まとまったコミュニティを形成する。従って、善き思いは善い縁を引き寄せ、悪しき思いは悪い縁を引き寄せるとする。

これは因果律として、悪しき思いは悪しき報いを、善き思いは善き報いを得るとみなされる。

思いは言葉に、言葉は行動に表れ、然る後に裁きを受ける。従って、悪しき思いを悔い改め、善き思いに転換することが、不幸からの解脱の道だと説く。

そして心の在り方が、天国、地獄へと繋がってゆくとされる。

 

ここからが非常に特徴的だが、人はそうした破滅への道に曝されながら生きているのであり、縋るものとその基準が必要とされる。

それが主の言葉であり、これに従いながら働き、布教することで、善き世界を作っていくものとしている。

これが信仰である。

以上が基本的な骨子となる。

 

問題点としては、人間の最大の不幸は、転生輪廻をもって救済されるという点であり、不幸を自覚すればする程、あの世の存在というものが必要となり、また原動力とされうる。

次に、善き思いには善き報いが、悪しき思いには悪しき報いがあるとすると、善き思いの基準となるものが必要になってくるが、上位者の言葉が基準となった場合、不安を煽りそれを救うというような言い方となれば、純然たるマインドコントロールとして機能することである。

次に、然るべき裁きが個人に内在化されると、それは他者に対しても向けられるようになる。結果として、都合の良いコミュニティと、都合の良い自己正当化の道具として教義そのものが使われる危険性を孕んでいる。要は排他的になるということである。

最後に、働く事や資産に宗教的な意義を接続すると、理不尽な苦行や、反対に金銭的な裕福さも、全て教義に変換され、吸い上げられる仕組みとなってゆく。

つまり、資産、労働力ともに限界値が死と設定されうる。

 

余談だが、善き原因には善き結果があること、悪しき原因には悪しき結果があること、その間にある自他の苦痛を無視するようになると、これはサイコパス特有の識別学習法に近似しており、信徒の異常性を際立たせる結果に繋がりかねない。

 

以上がとある信仰宗教の問題点であり、宗教組織の問題点として示唆を得るところは大きい。

カバラ思想について

カバラ思想について知り得ていることを書く。 

 
カバラのルーツはユダヤ教であるが、ビッグバン(アインソフオウル)を想定した宇宙意志を前提としているので、ユダヤの聖書からは外れる。
従って、口頭で伝承されて来たものである。
数字の持つ意味や解釈については、占いやタロットカード等にも応用されている。
 
基本的に、生命の樹(セフィロト)の1から10への道筋を通り、また10から1への道筋を通る。
数字の意味は以下の通り。
1.王冠の象徴
2.智恵の象徴
3.理解の象徴
4.慈悲の象徴
5.峻厳の象徴
6.美の象徴
7.勝利の象徴
8.壮麗の象徴
9.基礎の象徴
10.王国の象徴
である。
 
ここからは私的な解釈になるが、
Ⅰ.元型、創造界
1.個の自覚を持った人間が意志と言の葉により他との交流を通し2.智恵に至る。交流するエネルギーは受容されイデアの顕現として3.理解される。
 
Ⅱ.形成界
その世界の秩序は4.に守られ、統合され安定化される。安定化された世界は外に向き5.正義と破壊をもたらす。しかし、犠牲と愛を通して6.美によって調和される。
 
美は魅力と感情を生み7.個人としての勝利者を生み出す。個から世界への分析は賢さとノウハウ(術式)生み出し、それを用いて人間は8.社会の管理者としての栄光を手にする。かくて世界を知った人間は全ての記憶を検閲され9.基礎に至る。その集積された叡智は10.王国への橋渡しとなる。
 
10から1への流れを逆に追うことよって、個というものも説明されうる。
 
実際、ユングユングユダヤ人であるが)系の心理療法で数というものに注目する場合、上記のように進展するので、非常に含蓄も深い。最も、心の内面を扱う心理療法では1から4までの数字を重視する訳であるが。
一方で、人間本質を5.判断力や6.美や装飾する傾向、7.分析能力や8.管理能力、9.検閲能力と類するのも興味深い。
心理療法では4の数字が出れば統合と安定、もしくは内面への守りとして重視し、時として喜ぶ訳であるが、4が秩序への厳しさとして表れるということは一見、見過ごされがちなことであるように思う。
 
ちなみに、知識(真理)と言えるものが、カバラでは3と4か1と6の間に在ると考えられているのも興味深い。
 
数秘術占星術を含む占いは宗教とは根幹が違うように思われがちであるが、上記のようにまるで宗教的な解釈が可能な思想も存在する。