ゲーム理論に学ぶ勝負論

ゲーム理論とは、囚人のジレンマに代表されるような、行動の選択におけるメリットとデメリットを数値化し、合理的な選択を考える科学。

ゲーム理論を勝負と置き換えた場合、まず考えるのはAとBを選択したときの自分の得点(メリット)と失点(相手のメリット)を測ること。

次いで、全体の利益(得点)を測ること。

自分の得点と失点を差し引きして、最もリスクが少なく、得点(利益)の多い選択肢が、合理的行動となり、勝利に繋がる。


ここでは、長期的な勝利という観点から、ミニマックス戦略『ティットフォータット』を紹介する。

ミニマックス戦略とは、リスクが高い行動よりも、失点を抑えることを最大化することを目的として戦略を立てる。ティットフォータットは、日本語でしっぺ返し戦略とも言われる。

協調(リスクが少ない行動)を軸にして、相手が競争(リスクのある行動)を取ってきたら、即座に負けじと対抗する。相手が協調の意を示し、こちらも元が取れたら、協調に移行する。

こうしていけば、失点は最小化でき、最小のリスクで、得点を積み重ねることができる。こういったことがティットフォータットの行動理念としてプログラムされている。プログラムは四行と、至ってシンプル。

ティットフォータットは大勝ちはしないが、平均した得失点では限りなく最強となる。


駆け引きに関して、更に突っ込むと、

勝負ごとやギャンブルに限らず、現実には、リソース(資源)と確率が存在する。

リソースがあるために、確率の偏りが生じてくる。また、元から確率に偏りがある場合がある。

例えば、「AもしくはBの選択肢を選んでください」と言った場合、選択肢を選ぶ確率が均質だったとしても(実際には偏りがある場合が多い)、その人の心構え次第で、選択の確率には元から偏りがある。その人の性格と経験にもよっている。

Aを取りやすい人も、Bを強調すれば、協調してBを取りやすくなるかもしれない。また逆に、抵抗の意を示してAを取りやすくなるかもしれない。ここに相手を読むことの重要さが表れている。

指摘できない限りの強調(アンカリング)を繰り返せば、無意識にBを取りやすくなるかもしれない。

また、意識のリソースには限界があり、意識していないところは抵抗できず協調してしまうこともある。こうして確率は変動される。

また、物理的なリソースが限られるにつれて、選択肢の確率にも偏りが生じてくることも忘れてはいけない。


損失を抑えることの最大化は、徹底する限り長期的には強い選択肢となる。社会的にも有効な選択肢でもある。

更に、ミニマックス戦略を変動する確率に対しても適用できれば、時に大胆に見える行動を取らなければならない場面も生じてくる。

簡単にリスクを取ることは避け、有利な条件や勝つ確率を高める知識と行動に気付くこと、それに向けた努力と選択肢を考え続けることは勝利に繋がる。


もっとも、勝負ごとは得意じゃないが。

本の早い読み方

本や話などの内容の読み方。

 

1.プロットを読む、結果から見る

プロットの読み方は、まず大まかな意味段落に構成を分け、大体の流れを掴む。全体から要素を分解し、いくつかの軸(柱)となるものに再構成する。

たとえば、表向きは、トピックごとに分けられて、全然関係ない話をしているが、根底では共通しているテーマがあることを見抜いて再構成するとか、相手が導きたい論理展開や、話のもっていき方(会話の波)の裏に、見落とされそうなテーマや誘導が隠されていないかを読んでまとめる。

 

結果から見ることが何故大事かというと、意図された伏線から構成を読むことは難しいが、構成から意図された伏線を読むことは簡単だからだ。

違う言い方をすれば、

1を見て10を知るにはイメージ訓練が必要だが、10を知って1を見るのは非常に簡単な作業となる。

近道は、答え(完成系)を知って(イメージして)から解法(方法や手段)を知ることだ。

断然早い。

 

2.本質を掴む

話の内容には、核(本質)となるものがあって、その周りに導入部分や方法や具体例やエピソードが布置されている。

まず本質となる、核となる部分が理解できるかにあたる。理解できなければ方法や具体例にあたる。

本質が理解できれば不要な部分は飛ばして良い。

方法や具体例を読む、理解する時間がなくても、本質(核)が理解できれば、少なくとも自分に得られたものは十分といえる。

それを基にノウハウを創作すれば完全に自分のものとなる。

 

論文で言えば、題名と考察を読む。精度を上げたければ方法と結果を読む。出来る限り恣意的な操作(ミスリード)を避けて、自分の頭で考えたければ、方法と結果のみ(事実のみ)を見る。

思想、洗脳、政治、科学、大体において応用できる。

慣れれば、目次や表題を見て、大体内容が想像できるようになる。

 

これを使えば自分の為になる本を探すのも、読むことも早くなる。

速読?とはちょっと違うけど。

メモを取ることは大事。

秦基博の『鱗』と結婚式

秦基博の『鱗』が友人の結婚式でリクエストされ、歌われたそうだ。

秦基博は典型的なイメージ思考の人で、歌詞にも一貫してイメージを介した感情表現がなされている。
秦基博の『鱗』は、自分が魚で、身を守る鱗を脱ぎ捨ててでも、激流に傷付きながらでも、相手に思いを伝えなきゃという歌。でも相手は風の吹く場所にいる。つまり陸上にいる。緑だから葉っぱかもしれない。従って、強い思いがあっても叶わない恋を歌っている。
秦基博が「僕は魚」って言ったら最初から最後まで魚なのに、友人はあまり歌詞を理解していなかったかもしれない。
もし友人が典型的な音声思考タイプの人間だった場合、「たとえ傷付くことがあっても、裸の思いで相手に強く引きつけられるんだ」という共感と解釈をしている可能性は高い。
そうじゃなくて歌詞の意味を分かった上で、有名で良い曲だからという理由で選曲したのなら、それはそれで作者への冒涜かとも思う。

とはいえ、どういう風に考えるかは、個人の自由にある。
幸せなら、良いんじゃないか。

思考するとき言葉を使うか

人が思考するときには、いくつかのタイプがある。


一つは、音声思考タイプ。内語によって、独り言のように音声が頭の中で流れる人。話が長くなりがちで、要点をまとめていかないと話が途中で遮られやすいところがある。
体系的な分析と、論理的であるのが長所。
ただ、話に内容がある一方で、会話での応答がまとまりをもって伝わるには、ある程度話さないと意味をなさないところが短所。
このタイプの人は応答スピードと判断力如何で、頭が良いとも悪いともとられる。
 
二つは、イメージ思考。具体的な映像や、抽象的なイメージまでが先にあり、それを基に喋る人。話が短くまとまりやすく、コミュニケーションの応答が早いのが特徴。
短所は、論理的な矛盾に気が付きにくく、代わりに秩序(イメージに矛盾がないこと)で補うことが多い。本人の中では矛盾が無いが、文章的に分かってもらうには苦労を要するところがある。
イメージ思考の人でも、論理的に話すことを心掛けていれば、それっぽく聞こえるし、何より創造的で、スピーディに把握をしているのが長所。
このタイプの人は表現力如何で頭が良いとも悪いともとられる 。
 
複合タイプの人も勿論いる。スポーツ戦略や手続き記憶の時だけイメージを使い、普段は音声で考える人から、活字を読んでいる時でさえ音声は全く浮かばないという典型的なイメージ思考のタイプもいる。
 
第三の思考としては、映像も音声も使わない思考法がある。これは要するに直感的思考。普段はしない。
ちなみに、IQが高い人は概念形成能力が高いので、全てにおいて論理的整合性がとれている。
芸術的IQが高い人はイメージ的な抽象度が高く、それでいて統合性がとれている。
 
音声思考のタイプの人は概して感傷的で、絶望を感じやすく、理想と現実のギャップに苦しみやすい。
イメージ思考のタイプの人は概して楽観的だが、超個人的で、感傷的というよりは、しがみついたり抱え込む感じに近い。
 
『楽しい』
その言葉を二人の違うタイプの人が発したとき、二者の間では「楽しいに理由があって楽しいのか」「楽しいイメージが浮かんでるから楽しいのか」違うことを考えているかもしれない。
たとえ会話が通じていても、意味は全然違ったりしている。
 
 
追記:直感的思考は、最近ではパターン思考と言われている。無数にある経験をパターンにまで落とし込み、無意識にサジェストされるようになると練度が上がるとのこと。プロのチェスプレイヤーなどが使っている思考法。自身の感覚では、サジェストされるだけでは足りず、一つの方向に纏め上げる瞬間的な創造性が必要なように思われる。

性欲と性差について

社会学、心理学、象徴学における性は置いておいて、

生物的な性欲と性差について知り得ていることを書く。

男性は性感が弱く、性欲が強い。

女性は性感が強く、性欲が弱い。


女性の性感の脳波レベルは、男性に同じ事が起きた場合は、ショック死もしくは気絶するという説がある。

つまり、女性は男性よりも、痛覚と同様、性感にも強く耐えられるようにできている。

男性の性感はオルガズムまでの精神的高揚の短時間にしか見られず、女性は疲労を伴う程に刺激と快楽が直結している。


余談だが、女性が一番気持ち良い動作をしているときは、男性はあまり気持ち良くないこと、男性が一番気持ち良い動作(刺激)は女性は一番気持ち良い訳ではないことは、知っておいても良いかもしれない。


当然、男性と女性でセックスへのモチベーションは違う。勿論、精神的な繋がりを求めることは一般に共通して言えることだが、

基本的に、女性は強い快感を求める性欲であるのに対し、男性の性欲は性衝動そのものを強く求めることにある(男性に性犯罪が、女性にセックス依存が生じやすい負因)。

男性の性衝動の強さは女性の性欲(性衝動)の強さの比ではない程、強いとする研究もある。

まとめれば、男性は女性の性感レベルの強さの快感を経験することはなく、女性は男性の性欲レベルの性衝動の強さを経験することはない。


自分の目から見ると、女性の性感は少なくとも腰の臍あたりまでは来ているように見える。オルガズムに達すると全身から脳天にかけてまで性感が広がっている。

普通、男性の性感はせいぜいオルガズムの一瞬で、余程の手順(心理的に女性化する、催眠をかける、肉体的に精神的に相当焦らす等)を踏まないと、女性の性感のレベルに近付くことすらない。


従って、男性には性衝動を高める刺激を与えたり、性衝動に向くように精神に揺さぶりを与えることが、男性に対して女性ができる最も効果的なこととなる。

対照的に、女性には安心して感じられる気配りを与えることや、快楽が高まる雰囲気作りをすることが、女性に対して男性ができる最も効果的なこととなる。


余談だが、男性が性に対しての罪悪感を抱くのは性欲(性衝動)に対してのことが多く、女性が性に対しての罪悪感を抱くのは快楽(快感的堕落)に対してのことが多い。


同じ性交(セックス)に感して、男女でここまで、精神的、身体的に異なってくる。

視点は様々である。


もう自分はそういうことはいいやと思う。

占いについて

誰でも生年月日だけで占える方法について。

この方法は、星座と数字を象徴のように捉えて行う。

 

12星座的見方。

牡羊座:経営者、リーダー、義侠心、強い野心と指導力、権限ある地位と経営力。(火)

牡牛座:現実主義、しっかりとした判断、忍耐と芸術、物質主義、衝突は避ける、官能的。(地)

双子座:通訳者、分け隔てない、2つ以上のことを同時にこなす、知的潜在力、社交術、愛し愛される。(風)

蟹座:理解者、繊細さと緊張、感情の起伏、第六感的理解、鋭い直観力と洞察力、自信と傷つきやすさ、思いやり。(水)

獅子座:王者の威圧、創造的な芝居、人を楽しませる、勇敢、強引さ、プライドが高い、生き生きしている、思いやり。(火)

乙女座:完璧主義、実利的な理想、重箱の隅をつつく、鋭敏な知性と知識欲、洞察と批評家。(地)

天秤座:外交官、洗練された交渉力、カリスマ、大きなスケール、贅沢と美、金銭的成功。(風)

蠍座:秘密主義、ものの真髄を突き止めたい、大胆で意志を貫き通す、切り捨てる、挫折や失望感、色欲。(水)

射手座:探究心と哲学、楽観的な活力、道徳心、冒険心、印象からの直観力、チャンスを見つける、誠実さ。(火)

山羊座:義務感、権威を重く見る、打算的な野心、勤勉、自分を一番信頼、現実的実利的。(地)

水瓶座:個人主義、博愛主義、検閲者、ひらめき、奇抜に見える、勘の良さと実務的才能、そっぽを向く、人間関係を鋭く理解する。(風)

魚座:研ぎ澄まされた感受性、二面性、心の機微を理解できる、不思議な魅力、毒舌、限界のない感受性、感応力。(水)

 

だいたいこれで外から見える大枠の印象と性格を相手に伝える。

捕捉として、星座の始まりの最初の10日間の生まれの人はその星座の典型になりやすい(例:牡羊座×牡羊座)。次にくる10日間は次に近い同属性の星座も付け足す(例:牡羊座×獅子座)。星座の最後の10日間生まれの人は一番遠い同属性の星座も付け足す(例:牡羊座×射手座)。

これで同じ星座でも三種類のタイプに分けて伝えることができる。

 

 

あとは、数で見る。

まず、誕生日。

1.リーダーと自己意識強い。

2.社交性と依存心がある。

3.創造性と論理的理解、理屈っぽい。

4.堅実さと計算高さがある。

5.自由と旅を愛する、趣味が偏る。

6.家庭と美を愛する、ロマンチスト。

7.勝利を求める感情がある。

8.管理的、社会的成功を求める。

9.複雑さとすべての人の気持ちがわかる。

10.信念でトップを目指す。

 

一桁台は生の(典型的な)数字の性格になりやすい。

十台の誕生日の人は前進的なエネルギーが強い。二十台の誕生日の人は社会的なエネルギーが強い(性格に関わらず人の輪の中にいる)。三十台の誕生日(30日,31日)は創造的なエネルギーが強い(社会的な動向を直感的に掴んでいる)。

 

他に特徴的に目立つ誕生日。

11.ひらめき、インスピレーション。

13.野心。

19.革新。

22.ドラマチック、思い通りになる。

28.企業戦士。

29.寛大でインスピレーション。

 

これでメインとなる能力的な才能を相手に伝えていく。

サブとなる才能は、誕生日に誕生月の数字を足して、表立ってないが存在する影の才能を見る(例:1月10日の場合、11のインスピレーションの才もある)。

 

最後に、生年月日を西暦で単純に足し算して、最後に出た数を一桁になるまで足し算する(生年月日で分けて暗算した方が簡単)。

出た数字でその人の本質を見る。

1.王冠の象徴(個の自覚と独立)。

2.智恵の象徴(交流と社交)。

3.理解の象徴(創造と可能性)。

4.慈悲の象徴(統合と安定)。

5.峻厳の象徴(破壊と正義)。

6.美の象徴(自己犠牲と愛)。

7.勝利の象徴(感情と分析)。

8.壮麗の象徴(ノウハウと管理者)。

9.基礎の象徴(記憶の検閲)。

最終数が構成されている数字から、その人の意志の現れ方を見る(例:27=9の場合は社交術と分析能力により全ての人の気持ちが分かる等)。

 

これにより大体、生年月日を知れば、大枠の性格と、才能と気質を伝えることができる。

 

 

あとは、短所を見たいなら、生年月日で色んな順番から足してみて、構成に入っていない数字を探してみると、意志の力を受けてない(才能がない)ところを言うこともできる。

 

未来と過去を見たいなら、誕生日から次の星座になるまで何日あるかを1日1年と換算すると、年齢別に志向する方向がわかる(例:1月10日の場合、0歳〜12歳:山羊座、12歳〜40歳:水瓶座、40歳以降:魚座の影響を受ける等)。

 

 

誕生日を聞いたら、

1.星座で大枠の性格を話す(外からの印象と合わせて相手が頷けるように言葉を選ぶ)

2.誕生日で才能と能力を話す(日常と照らし合わせる)

3.生まれ年を聞いて暗算し本質を伝える。

4.最後に過去と未来の変化を伝える。相手の口が開いて関心を示していれば話し続け、口を閉じたら話をやめて質問をする。

 

以上のことを覚えていれば、暗算程度で占いはできる。

 

画数占いに応用するなら、名字の総画は家柄を、名前の総画は一人になった時の自分を、名字と名前の間の字の総画は主に仕事における対人関係のあり方を、名字の最初の字と名前の最後の字の総画は生活に求めるものを象徴していると言って、解釈を伝えることができる。

相手の興味や関心を持っていることと関連させて伝えれば、大体外れていると言われることはない。

 

人生に対して、本人なりの意味や印象を豊かにするように伝えて、悪いことはあまり伝えない方が良い。人生はその人のもので、占いは人生にならないと、自分は思う。

 

真作と贋作を見抜く方法

芸術について。

芸術に関して、ショーペンハウアーの弁を借りれば、天才の芸術家はイデアそのものを伝達する。つまり芸術の鑑賞には因果関係(理由)は必要ない。
ここでは芸術作品の真作と贋作を直感的に見分ける方法を紹介する。
 
絵画芸術の場合。芸術を真に鑑賞する場合、まず因果的なものの見方を棄却する必要がある。
人は視線を発しているが、視線の動きは普通、対象物から対象物へと移動し、クオリアを認識する。それと共に、長い間、視線が一点に留まることがない(離人症の人を除く)。これは因果的で機能的なものの見方に由来しており、芸術を鑑賞するに不向きである。従って、直感的に芸術を把握するために、この方法を棄却する必要がある。
 
絵画の中心付近に視線を集中させ、さらに絵画の中を起点にして、糸を垂らすように視線を下に伸ばせるかという感覚を試すと、名のある芸術家(デザイン系以外)の作品は、どこまでも深くまで潜り込める。対照的に、贋作師の描いた作品などは、せいぜい数cmか、十数cmしか、絵画の中の起点としたところから視線を先に伸ばせない(離人症傾向のない人だと、この感覚は難しいかもしれない)。
この傾向はデッサン程度の作品でさえ如実にある。
 
この方法は、視線を絵画の中心付近に固定して、全体をアプリシェイト(認識)することで、絵画の抽象性と統合性を把握する。天才や優れた芸術作品は抽象度だけでなく、構図としての統合性も高度なので、絵画の全体を把握した際に、大きな差として表れる。
凡人や芸術的なIQ(才能)が低い人が描いた作品は、抽象性と統合性が低いため、視線の注意力が散漫になり、結果、集中し続けることが困難になる。そのため、こうした違いになるのだと考えている。
真作か贋作かに限って言えば、この方法を使えば、8〜9割は見破ることができる。
 
補足知識として、
万人共通のものとして、右側が外的なもの、左側が内的なものとして認識されやすい。従って、新奇性のあるものは右に配置され、古く、安心感のあるものは左に配置される。より身近で、基礎として感じられるものは下半分に配置され、より意識的な志向を有するものは上半分に配置されることが基本。
これは宣伝広告から映画やドラマの構図に至るまで、共通した見せ方となる。
画面向かって左側から右側に力が働くことは、力強く前進的な印象を与え、右側から左側に力が働くことは、穏やかで郷愁的な印象を与える。
応用して、孤立した人間を印象的に描きたい場合は画面の右側に配置すれば良いし、身近に感じさせたい人は左側に配置すれば良い。
ついでに言えば、CMや広告には①女性②食べ物③ペットか子供のどれかを登場させるのが基本である。アピールしたい新商品のビジュアルなどは中心か右側に配置するのが定石。
 
話を戻すと、高度な芸術作品では、曲線などの力の向きが全体として統合性を乱すことなく美しく描かれ、また高い抽象度をもって結晶されている。
従って、上記のような方法で絵画の全体をアプリシェイト(認識)した場合に、なんら不都合なく作品に入り込むことができる。
 
同様に、彫刻作品の場合でも、曲線や重心などの力の向きが、途中で乱れたりばらけることなく、高い抽象度をもって結晶され、全体として高い統合性をもってまとめられている作品は価値が高い。贋作の場合は、曲線や重心などの力の向きが、途中で無駄に分散され消耗され、スマートでない。つまり抽象度が低いために区別することが可能である。
 
最も、その力の向きとやらを高度に結実させる(抽象化させる)には、果てしない芸術的IQ(才能)と創造的エネルギーが必要である。
そんな人がなかなかいないからこそ価値があり、また贋作とは違っているのだ。